2011年4月22日金曜日

Påsk

Påsk、イースター、復活祭、日本で意識することはあんまりないんだけど、一応こっちでは毎年ちょこっとお休みになるので、ありがたい休みの一つ。休む口実は必要であります。自分的には卵をたくさん食べる以外何の意味があるのか今ひとつ分かっていなかったり。統計的に見て日常への宗教への依存度がとことん低いスウェーデンでは、教会にでも行かない限りバレンタインデーとさほど変わりのない宣伝用の口実だったりします。

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休暇に入った直後に相方の実家に顔を出しました。家に猫がいるので1泊2日の少しハードめのスケジュール。この白い花は、木の葉が生い茂る前の春の一瞬だけ花を咲かせます。要は森の中に生えてるけど日光が必要という話。

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この青い花を咲かせる植物は生命力がかなり強いらしく、2-3株を数年前に植えたところあっという間に広がったらしいのであります。当然隣の家にも浸食しているものの、文明の機器とも言うべき芝刈り機の前にはどうすることも出来ず、毎年刈り取られる運命にあるとのこと。

非常に天気が良く、夏を思わせる風。スウェーデンに来て以来必ずと言っていいほど毎年雪があったので、少し驚きでありました。

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2011年4月4日月曜日

統一地方選挙と自治

そういえば春の選挙のお知らせが大使館から届かず、う~んと考えていたら、地方選挙に関しては投票が出来ないとのこと。考えてみれば自治体に関しては住民が投票の主体になるのは当然と言えば当然。ただ、外国籍の住民に対して投票権を認めないのは、その意味ではおかしい。というのも仮に自治体の選挙もことさらに日本人であることを強制するならば、海外での投票も認められて然るべきであるし、住民であることと自治との関係を強調するならば、外国籍を持つ人が自治の主体たる住民失格という論理は差別以外の何ものでもない。義務はあれども権利無し、責任あれども自由無しetc...

ともあれ、先日オーストラリア人の友人と話をしたときにやはり二重国籍の話に。彼の相方はウズベキスタン人で、二重国籍を認めないウズベクの法律のせいでオーストラリア国籍を取りかねているとのこと。国籍の選択という強制がいかに人の自由や選択を奪っているか、改めて考えさせられます。帰化を含めた国籍の「選択」は、母国でのビザ取得の必要が出てくることや労働する余地が少なくなるなど、様々な不利益を伴います。不利益を矮小化してことさらに国民を強調するなら、人が国家の所有物か、主権は国家にあるのか、という民主主義以前の議論を行わなければなりません。民主的に決められた法律だから民主主義だ、とすればどこかのエリート主義に裏打ちされた独裁国家の例を出すには困らないほど、かなり適当な正当化であります。一つの国に帰属することを強制することは市民的自由を尊重する気がないことの裏返しでもあります。

自治、自分(達)のことは自分で考え決定し実行する。けれども日本においても「我々」と「彼ら」の間に線引きを行う段階から既に他者の排除が始まっています。一般論において個別具体的な事案を説明することは、結構困難で不合理なことも多々あります。ことさらに日本の独自の文化を強調する輩もいますが、そもそも文化が永続的なもの(であるべき)でありかつ民族内部でしか共有出来ないものという、およそ現実離れしたアイディアを尊重しろというのは、自分には無理です。文化であるが故に批判を受けるべきではないという考えも、批判なしに文化が発展するという楽観的なものであり、文化自体が誤っていることを考慮に入れないものであります。ともあれ自治、みんなで渡れば怖くない、というのとは別の話。