2009年5月10日日曜日

Kopps

前回書いたエントリでスウェーデンの警察と日本の警察の無能さの違いを書こうと思ったのでその話。

凶悪犯罪が増えてるとか治安が悪くなったという話をする場合によく持ち出されるのが統計であります。日本で言えば犯罪白書とかがメインになるのかな。各国の警察の犯罪や統計データを比較すると恐ろしく違いがあります。犯罪の認知件数と検挙率、それだけを見るとわりと日本の警察は検挙率4割程度(近年は2割程度)と優秀なのかという話になります。なんてことはない、検挙できそうもないものを認知しなければ検挙率はおのずと上がります。フィンランドなんかはその典型かもしれません。警察が被害届を受理しなかったという話は結構あって、そんなことをやってる限りは検挙率が高くなろうが低くなろうが、犯罪を読み解くデータとしては有意ではありません。分かるのは、警察がどの程度業務をこなしたかという数字だけ。

会計でもそうですが、特定の数字を比較することに意味があるとするには、そのデータが同じ基準に基づいて計算されていることが前提となります。そして前年度と異なる要素がある場合には、いわば「規範的」にデータを読み解くことが必要になります。典型的なのは、一時期よく議論の対象になった警察発表の「外国人による(凶悪)犯罪は増えている」という言説。この主張はある種正しく、ある種間違っている議論といえましょう。警察による外国人が関わったと推測される犯罪の認知件数および検挙件数は一時期増えておりその点では、なるほどねと一応言えます。が、当時各警察の予算および人員が増え検挙件数も著しく増加していたため、認知および検挙に関して、犯罪に占める外国人の割合は低下していました。そして何より日本に居住・滞在する外国人の増加は、外国人人口あたりの犯罪率の低下をもたらしました。「外国人による(凶悪)犯罪は増えている」というある面では正しい言説ですが、それを政治的に肯定されたとしても「あ、そう?」くらいのレベルの話であって、イメージ力の乏しい自分にはその言説から外国人(だけ)の犯罪について何か規範的なことを導くことはできません。スウェーデンでも外国籍の犯罪率が統計的に挙げられており、犯罪の種類にもよりますが例年全体としては3%程度高くなっています。

ただスウェーデンでは外国人の犯罪率の割合やその増加について、日本のそれほど議論されてないかと思います。実際、外国籍であるということが統計で計算して、そこからどの程度規範的なことが読み取れるかという問題が残ります。まず、スウェーデンにおける「外国人の犯罪率はスウェーデン人の犯罪率よりも高い」という仮説を立てます。国籍において分ける場合、対象となる母体がある種同一の条件でなければ、国籍という要素は実際には有意ではありません。すなわち他の要素が片方の母体に多く含まれている場合、例えば貧困や無職といった要素が含まれている場合には、貧困や無職が原因であり外国人であることそのものが原因ではないということになります。従って「外国人の犯罪率はその貧困が故に犯罪率がスウェーデン人に比べて高い」という程度のことは言えるかもしれませんが、外国人という要素そのものの意味はありませんし、ましてや犯罪率そのものが生まれながらの犯罪性には結びつきません。もちろん近年のボーダーレス化による犯罪の越境の問題、古くからのフィンランド人の移住とその貧困というまぁ少し近い問題はありますが、犯罪の予防という観点から外国人を排斥するべきというぶっ飛んだ議論までは突っ走っていないというのが今までの経緯かと思います。

そうこうして考えると、日本の警察の本部が適当な数字で議論している間に今日も警察が「認知」していない犯罪がポコポコ発生しているのはある種警察の怠慢の結果。ただ、ふつうの警察官の名誉のために言っておくならば、警察が動くためにはまずそのための制度と予算が必要であって、勝手に動くなら独善的だしコントロールが効いてないということで非常にまずいのでそれは否定されるべき。ただ、制度も予算もあるのにただ動いてないケース、ことに被害届の不受理はただの怠慢ではなく法律上要求された業務を執行していないので何らかの歯止めというかサンクションが必要かと思われます。

スウェーデンの警察の無能さに話を戻しましょう。スウェーデンの検挙についての統計を取り上げた記事が2ヶ月ほど前にあったはずなのですが、その記事をスクラップしていたわけではないので、この話は少し正確さに欠けます。傷害事件の送検件数はおよそ6-7%、街頭インタビューでは低いね~という話。数字的には、認知>捜査>検挙>送検となるのかな。スウェーデンの警察はことに傷害事件については、送検する場合でも逮捕までいかないことが結構あるので、日本のそれとのデータ比較は少し難しいところ。特にそれ自体で客観的事実が既に認められる現行犯について、逮捕せずに済ませてしまうケースがあります。警察が既に証拠収集をしてしまえば隠滅できる証拠など限られてますし、起訴されてもおよそ執行猶予や罰金刑止まりのケースの場合、逃亡する可能性は低いというのは経験則上明らかなのでしょう。実際、自分の知っているケースでは、全治1ヶ月程度の傷害事件で逮捕、3日程度勾留の後釈放、後の公判でも罰金刑で済んでいます。被疑者(容疑者)は容疑を否認していた上、被害者を逆に暴行で告訴していたため、日本であればおそらく釈放されないケースのように思われます。ただ、裁判前の段階で釈放されることはどのケースにとっても多く、その点で警察や検察に対する批判が多くあるのも事実です。いずれにせよ通報や申告のあったもののかなりが認知件数に入っておりその点で処理件数の歩留まりが悪くなっていること、程度の重い事件の処理に忙殺されて、軽い事件の処理には実質的に手が回っていないことは、こちらでも課題となっています。

日本にせよスウェーデンにせよ裁判で有罪判決を受けるまでの間、被疑者や被告人は法律上無罪の推定を受けます。この点に鑑みるならば、被疑者や被告人は証拠収集および裁判手続きに必要な限りでの制限を受けることはやむを得ないもののそれ以上の勾留はさけられるべきであります。単純な事件において長期的な勾留を行うことは、論理的にみると長期間かけて捜査しているということであって、無用な拘束を行っているということであります。何も犯罪者がその罪に見合った刑に服するべきであるという考え方を否定しているのではなく、刑罰と刑罰を決定する為の手続きとを混同すべきではないということ。捜査機関がそうした法律上の建前さえも遵守できないとなると、法律の執行機関としての適格性を疑わざるを得ません。

そんなこんなで少し話は長くなりましたが、自分のお気に入りのスウェーデン映画の一つ、Koppsの話を。警察ものの映画や小説は、ある程度フィルターをかける必要があるものの、一般的な人から見た警察観がかいま見られるため、語学・一般教養といった点からも非常に参考になります。

 

映画 Kopps は典型的なコメディ作品で、片田舎の警察署が舞台となります。犯罪が殆ど起こらない集落の警察署が閉鎖の危機に瀕して、主人公たちが抵抗を試みるストーリー。日本やアメリカの警察ドラマに比べると、ヒーロー型の警察というのはあまり流行らないのかもしれません。こっちの普通の警察ものは結構重たい話が多くて、見たあとどよ~んと気持ちがよどむことが多めです。

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